高校卒業。どうするか迷う

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もんもんとしながらも地域の高校に進学し、バンドを組んで音楽したり、バイクに乗ったり、バイトしてお金を稼ぎ好きなことに使ったり、「バ」から始まる単語に占領された高校生活を送った。

 

写真データがゆっくりと表示されていく家のPCを駆使してヒッピーについて調べたり、沢木耕太郎の『深夜特急』や小田実の『何でも見てやろう』、ロバート・ハリスの『エグザイルス』を読んだりして、ここではないどこかへという気持ちは、単純な海外への憧れは放浪というかたちに作られていった。

 

高校1年のとき、親戚の叔母さんが国際的な教育支援を行っているNGOのツアーに参加させてくれた。タイの農村部に小学校を作るプロジェクトが進んでおり、その視察と手伝いにいくフィールドワーク型のツアーであった。

高校3年のときには、同じNGOを通してモンゴルの孤児支援を行っている現地プロジェクトのフィールドワークツアーに参加させてもらった。

兄と共に参加したのだが、この2つの経験は、自分たちが住んでいる「豊かな世界」と「貧しい世界」を五感を通して認識させてくれた。

特にモンゴルのウランバートルは強烈だった。モンゴルの孤児の多くは、親に捨てられたり、暴力が原因で家を飛び出してストリートに住むようになる。

僕らと同世代の孤児たちは、凍てつく冬を生き延びるため、マンホールの中に住んでいた。汚水が溜まり、ゴキブリやネズミが這う場所で暮らしていた。

兄が移動中のバスの中でふと「俺らもこうなってたかもしれないよな」と呟いたのを今でも覚えている。

生まれた国が日本でなければ、暴力のある家で育った僕ら兄弟もこうなっていた可能性が大いにあった。自分の行為の結果ではなく、選択肢はもとからなく、すでに決定づけられていて、自分の力ではどうしようもできないことが、たくさんあるのだということを身を持って知ることができた。

 

 だから人種差別に心から辟易するし、嫌悪する。

そして、常に弱者の側にありたいとも思うようになった。

 

 

また進路を考える時が来た。高校卒業した後、何をするかだ。

 

海外を放浪するか、大学に入って興味あることを勉強するか。

高校を卒業して大学に進学するのは比較的簡単なことだが、高校卒業から大学入学というルートを一度離れてしまうと、そこに戻るのが難しいように感じた。勉強したくなった時に大学に入学できるのか不安であった。

しかし、それ以上に、まわりにあるよく見慣れた道、同じような道を選択した方が安全に感じたのだ。今思うと実際はそんなに難しいことでもないように思うのだが、当時は頭を抱えるほど悩んだ。

要はここでも、人と違うことをするのにビビったのである。

コンフォートゾーンから出れなくなっていた。

 

そして、僕は大学に入学した。